全国を飛び回った音響エンジニア時代
今でこそ直売所で働くあいさんだが、以前までにいたのは農業とは無縁の世界。学生時代は転勤族家庭だったため中部地方を転々とし、その後も25歳までは、岐阜県に暮らしながらライブなどの音響エンジニアとして全国を飛び回っていた。音響エンジニアは、高校演劇部時代の「舞台に関わる仕事がしたい」という憧れを叶えた職業。大きなやりがいを感じながら、同時に緊張が張り詰める日々が続いていた頃、ふと福井県の田舎道を駆け回っていた小学校時代の日々が頭をよぎった。「自然の中で暮らしたいな」。その想いが農家の健造さんとの出会いを引き寄せてくれた。
「転勤族だったので、暮らす場所が変わることは全く苦じゃないんです」。健造さんとの出会いを機に登米市に移住し、農業に携わり始めた。農業には農業の大変さはあったものの、「早起きして、収穫して、お昼寝する規則正しい毎日。私には疲れすらも心地よかったんですよね」とクシャっとした笑顔を見せる。
分からない方言も楽しみながら
その後、夫婦で登米市の実家からの独立を考えていた折、丸森町に良い場所が見つかり、二人で地域おこし協力隊に応募。丸森に暮らし始めてからは「どこに行くにも遠いんですが、日常が満たされていると外に出かけたいという気持ちにもならないんですよね。山登りが趣味だったので、山が近くにあるだけで嬉しくて」とすぐにこの場所を気に入った。
東北の方言は分からないことも多いが、聞けばどの人も喜んで教えてくれて、今はそれすらも楽しい。「何度聞いても忘れちゃうんですよね。『あっぺとっぺ』の意味とか」。丸森に移住してから第一子にも恵まれ、親子で職場に顔を出すと、「皆さんが可愛がってくれて、たくさんのおじいちゃんおばあちゃんがいるみたい」と安心感に包まれている。
今では梅の収穫体験会など、あいさん発案の企画も実施しているほか、国際薬膳士の資格を取得後、特産品を使った薬膳レシピをSNSで発信し始めてからは、「美味しかった」「子どもも喜んで食べてくれる」といった声が届くようになった。隊員任期を終えたら、惣菜店をオープン予定であり、体に負担なく、毎日食べられるようにという願いを込めて店名は「日々菜」に決めている。
丸森はかけがえのない故郷
休日には見通しの良い川沿いの道を親子三人で歩く。晴れた日には蝶々を見つけて追いかけ、雨上がりには水たまりで嬉しそうに飛び跳ねる我が子の姿に、「転勤族だった私と違い、子どもにとってはここがかけがえのない故郷。とにかくのびのびと育ってくれたら」と願う。「自然に囲まれていい暮らしをしてるよ」。いつしかこの言葉が、遠くの友人たちから連絡をもらった時のあいさんの口ぐせのようになっている。